境界性パーソナリティ障害の世界
2024.09.05
境界性パーソナリティ障害を持つ人の生き方は、刺激的で劇的で、魅惑的にさえ見えることがあります。愛情や憎しみを隠すことなく感情のままに生きる姿は、時に「うらやましい」とさえ感じることもあるかもしれません。しかし、「そのようにしか生きられない」ことはとても苦しいことでもあります。
境界性パーソナリティ障害を持つ人の思考や行動のもととなる心のメカニズムとはどのようなものなのでしょう。
<“良い”と“悪い”の分裂>
幼いころ、単純に世の中には良いことと悪いことがあるのだと信じていても、大人になるとそんなに簡単なものではないと知ることになります。“善悪”とは表裏一体であり、一人の人間の中にも良い面と悪い面が存在することを知ります。良いところも悪いところもひっくるめて、私であり、あなたである。そう理解することで、社会の困難を切り抜けてきたのではないでしょうか?
一方で、境界性パーソナリティ障害の場合、“良い”と“悪い”が統合されず、分裂した状態であるといわれています。そのため、自分が好意を抱いた相手は絶対的に“良い”ものであると信じて盲目的に付き従ったり、暴力や暴言を吐かれても「自分のためなのだ」と思い込んだりします。相手の中に存在する“悪い”部分は見ないようにします。逆に、“悪い”ものであると認識した対象は徹底的に回避したり、攻撃したりします。“良い”と“悪い”は矛盾したものであり、同時に存在することができないと考えてしまう傾向にあります。
<“理想化”と“こき下ろし”>
人間は生まれてから大人になる間に、何度も理想と現実の壁にぶち当たります。幼いころは、家族が世界のすべてで、父や母はなんでもできる“完璧な大人”だと信じていたでしょう。しかし成長するにつれ、親だってミスをするし、疲れているし、感情的で自分勝手な行動をするものであることを知ります。また、“自分はなりたいものになれる”と信じて勉強や運動を頑張ってきたのに、高校受験や大学受験を経て、自分の力は万能ではなく、夢に届かないこともあると学びます。就職し、働き始めると、世界には自分の力だけではどうにもならないことがたくさんあることを知ります。しかしながら、多くの人は中庸を探したり、あきらめたり、自分を慰めたりしながら、理想と現実のギャップを乗り越えようとします。
境界性パーソナリティ障害の場合、“理想”が絶対的で、“現実”を受け止めることが非常に難しく、まるで不都合の現実など存在しないかのようにふるまいます。また、理想的でない状態を「周りの環境や他者のせいである」と信じており、周囲に非があると徹底的に“こき下ろす”行動をとります。例えば、“尊敬する両親が勧めてくれた進路”なので受験をしたが、受験に失敗すると両親のこれまで養育サポートが不十分であったからであると思い込み、従順な態度から一転して反抗的な態度をとったりします。それが苛烈で攻撃的であるため、周囲の人間関係にも大きな影響を及ぼします。特に関係の深い人に対して“理想化”と“こき下ろし”が起こりやすく、周りの人は突然突き放されたように感じることもあるでしょう。
<投影同一視>
心理学での“投影”とは、自分の心にある感情や思考を相手にあるものだと認知する心のメカニズムの一つです。例えば、自分が“私はAさんのことが苦手だ”と感じているにもかかわらず、その気持ちを相手が持っていると認識し、“Aさんは私のことが苦手だ”と思い込みます。さらに、投影同一視とは、相手に投影した気持ちに対して同一化します。例えば、自分が勝手に投げつけた“Aさんは私のことが苦手だ”という思いを信じ込み、何もされていないのにもかかわらず、Aさんの前で委縮したり、避けたりして、実際にAさんが自分を苦手に感じるよう行動します。この作業はしばしば大げさだったり演技がかったりした素振りで行われるため、周囲は振り回されたり、操作されたりしているように感じるでしょう。
“投影同一視”は、自分自身の心を守るために本来備わっている防衛メカニズムであるため、意識的ではなく無意識に行われています。そのため、本人は自分の“思い込み”が真実であると認識しており、たとえ周囲から見て矛盾や事実ではないことが含まれていたとしても、その時は相手をだまそうという意図はありません。“理想化とこき下ろし”についても同様です。本人に病識がないことが、境界性パーソナリティ障害の難しさでもあります。